専門学校での別れと出会いのセレモニー
私は旅行会社の勤務をする傍ら
専門学校で非常勤講師も勤める。
教えている内容は旅行業関連で
ふだんの旅行業務とリンクしている。
3月までは、ハローワークの
教育訓練給付制度を活用した
様々な年齢層の委託訓練生だった。
観光ビジネス科で
旅行企画、添乗業務、旅行実務
観光英語などを担当した。
受講期間最終日の最後の授業で
受講生がちょっとした演出を
してくれた。
クラスの代表から挨拶とともに
ドイツの白ワインのプレゼント
これだけで十分と思ったが
さらにサプライズが待っていた❗
目の前にご祝儀袋の提示❗
そういえば前に
訪日外国人旅行の仕事をしていて
別れ際にグループの人たちから
封筒入りでチップをもらった
話しをしたことがあった。
添乗実務の講義のときに
チップに関する質問に答えているうちに
その話題が出てきたのだ。
え~❗
だからといって
別れ際に自分に向けて
こんな形で気を使わなくても!
とドキドキ😵してしまった。
何しろ、ご祝儀袋の厚みが凄かった❗
そして中身を開けてみて
二度びっくり👀
出てきたのは札束の山⁉️
と思ったが、実は
30人分のメッセージカードでした☺️
デザインは確かに日本銀行券
でも、そのかたちをした
アイデア商品でした‼️
裏面はメッセージ記入欄があって
後から見てみると
心暖まるメッセージの集積でした✨
これはアイデア商品だと思った。
自分としては、してやられたけど😆
大人げない期待を一瞬持ったのも
どうかしているけれども
今日はみんなにイジられて
満足🈵😃✨して、
嬉しかったひとときでした☺️
さて4月10日は
新しい専門学校生を迎える
入学式でした。
この日の東京は朝から
冷たい雨が降りしきる
あいにくの天気☔
一度桜🌸が咲いたあとで
すぐ散ってしまうのではないかと
心配でした⁉️
場所は川崎の産業振興会館でした。
コンサートホールとしても使われる
500人収用できるホールでした。
この場所は工業都市川崎の
発祥の地だったところで
川崎市が誇るものづくりの
ブランド認定製品の展示もあります。
入学式に集まって来ている人たちは
生徒だけでなく、家族同伴もいて
高校や大学の入学式と変わりません。
列席した講師陣のスピーチは
前向きでこれからの期待を
持たせるものが多かったのは
さすがです。
しかし、新入生たちは
3月まで担当した委託訓練生と違って
18歳前後の未成年が多くいます。
自分が大学へ通っていた
40年前を思い起こすと
隔世の感があり
いまの若い人たちと
コミュニケーションを上手くとる
ためのトリセツが要るなと思います。
昨年も微妙な年頃の生徒たちの
やる気スイッチをどう入れるか
モチベーションをどう保つかで
かなり悩みましたし
そう簡単ではないことは
分かっています。
日本人の生徒だけでも簡単ではないのに
外国人の留学生も扱わなければ
なりません。
旅程管理主任者や地理検定などの
資格を在学中にとれるところまで
フォローしレベルアップを目指し
就職率をアップさせたいという
学校側の思惑がある一方で
教室では日本語レベルも決して
一律ではなくスキル面でも
やる気の面でもかなりの差がある
生徒たちを相手にどのように
授業に取り組んでいくか
課題は山積しています。
すぐ近くにソリッドスクエアがあって
パスポートの申請等で朝から
人が大勢出入りしています。
帰り道、駅に向かいながら
若い人たちとすれ違いつつ
これからどう向き合っていくか
考えなければいけない
と思いました。
シンデレラ城のモデルの優れたコストパフォーマンス
ドイツから帰国した添乗員と空港で話しをした。
冬もオープンしているノイシュヴァンシュタイン城は
相変わらずの人気で、特に団体で行く場合は
必ず予約が必要! 必ずしも観光シーズンと言えない
2月・3月でも、5分刻みで入場予約がされているという。
「新白鳥城」という訳語で日本でもおなじみであり
ウォルト・ディズニ-がインスピレーションを得て
シンデレラ城のモデルになったという
白亜の外観のお城である。
「眠れる森の美女」のモデル城とも言われている。
この王様は自らについて
あまり記録に残していないせいか
とにかく謎が多い!
フランツ・ヨーゼフ皇帝の王妃
エリザベートの腹違いの従弟にあたる。
ヴィッテルスバッハ王家出身で
生まれながらにして王位を継承するように
運命づけられた高貴な身分だった。
ただ、個人的な資質としては
国王として帝王学を授かるよりも
芸術家のような感性をもっていた。
これは、危急存亡のときを迎えていた
バイエルン王国にとっては
間違いなく好ましくないことであった。
まつりごとや外交には関心がなく
人にも会わず、関心事項は芸術のみ!!
湯水のように王室の費用を使い
また、中世の騎士物語に心酔し
実用性のない個人的趣味を満足させるため
いくつもお城をつくることに
情熱を傾けていた王様・・・・・
ノイシュヴァンシュタイン城の周辺は
バイエルンアルプスの麓で山と湖の景勝の地である。
お城は標高1000mの険しい山の上に聳え
王様の情熱を体現して白鳥のような外観だ。
入場入口の前に、マリエン橋から全景写真をとると
まるで航空写真のような見事な外観だ。
内部は写真撮影が一切禁止されているので
見学して目に焼け付けるしかないが
このお城だけでも建設コストが200億円という!
でもこれだけではなく、リンダーホフ城
ヘレンキムゼー城と他に2つのお城
合計3つのお城の費用は、バイエルン王室の
宮廷費用から出ていただけでなく
ルートヴィヒ2世を手玉に取るために
飴と鞭の政策で提供した費用からも出ていた。
このままでは、バイエルン王室の財政が破たんする
だけでなく、国家そのものがなくなってしまうという
危機感をもった宮廷人が王様を捕らえ
シュタルンベルク湖畔に幽閉する。
王様はそこで謎の死を遂げ
王様の死とともに建設途上にあった
ノイシュヴァンシュタイン城の工事は
中止命令が下り、未完成のお城となった。
当時のバイエルン王国では、悪評とともに退位させられ
王室財政を破綻させかけた張本人という扱いだったが
現在のドイツでは、特にバイエルン州の財政を潤すことで
国家にも観光収入で多大な貢献をしているのが
ルートヴィヒ2世という王様なのである。
日本人も含めた外国人の人気観光地のトップを維持し
ルートヴィヒ2世の建てた3つのお城は
現在だけでなく、これから未来にかけて
バイエルン州やドイツの権利収入を保証する
コスパの優れた超優良債権
であり続けることだろう。
ロマンチック街道はドイツ政府の観光課が
命名した景勝ルートだが
中心地ローテンブルクから南のハイライトは
ノイシュバンシュタイン城に決まっている。
ロマンチック街道の南の終点フュッセンまで来ると
その5km先に
シンデレラ城のモデルとなった
ノイシュバンシュタイン城がある。
上野公園のさくら並木散策
今日、秋葉原に用があったついでに
近くの上野公園に桜を見に行った。
上野公園は観光名所だし
土曜と日曜はもっと人出が多い。
今日は月曜だけど、花見の人出が凄い!
前に来たのはちょうど1年前
訪日外国人のインバウンドの仕事で
オランダ人のツアーの案内で訪れた。
日本人がチューリップ見たさに
オランダへ飛び立つのと前後して
オランダ人は桜の花目当てで
日本に向かうのが面白い。
上野公園は観光名所でなおかつ
地元の人や都民の憩いの場で
過ごし方も色々ある。
日本のルーブルと言われる
博物館.美術館も見所の一つで
コルビュジエの建築作品で
世界遺産指定を受けた
国立西洋美術館は注目度が高い。
子供連れのファミリーには
上野動物園のパンダ🐼が人気で
写真を撮るのに順番を守ること
などが書いてある。
いま上野公園は3月下旬から始まった
桜祭りで賑わっている。江戸時代から
桜の名所で、桜の本数も800本❗
公園入口のしだれ桜もみごとで
全体的に満開のときに来ることができた。
桜の種類もソメイヨシノを代表として
ヤマザクラ、かんひざくらなどが
あるのだが、どれがどれだか
いまひとつピンと来ない。
晴れてはいても、日中で12度くらいで
この時期にしては寒く冷え込んでいる。
今週木曜までは冬将軍が居座るから
せっかくの桜も開花した後
とうすべきか悩むのではないか?
そんなことはお構い無しに
場所取りが上手くいった花見客は
酒を片手に伝統的な花見を
楽しんでいる。
それをちらりと見ながら
訪日外国人は伝統的花見の手法に
共感のスマイルを浮かべ、写真を
撮っている人もいるし
また同意できない意思表示の
笑みを浮かべたり、肩をすぼめたり
している人もいる。
いずれにしても
花見という行動様式に
桜の花を愛でるという
日本古来のカルチャーを
感じてもらえれば、と思った。
冬将軍が猛威を振るうと
4月3日にはにわか雪となり
桜吹雪が舞うことになるかも。
屋台もいっぱい出ているし
暗くなってからも夜桜見物
しようという人には寒さが
厳しい今年の花見になりそうだ。
西郷隆盛像の前に来たとき
昨年のNHK の大河ドラマ「西郷どん」
のことを思い出した。
幕臣勝海舟との行き詰まる交渉
結果として決まった
江戸城無血開城
西郷の最期に下した決断がなければ
江戸城は新政府軍に攻め込まれ
江戸が火の海となって
私たちはこうして桜の花を愛でることは
できなかったかもしれない。
しばらく歴史のひとこまに
思いを馳せた後
尾道、姫路城など
昨年楽しんだ西日本の桜を
もう一度楽しみに行きたい
と思った。
先輩添乗員の逝去と高齢者添乗員の業界参入
今週ショッキングな出来事があった。
先輩の添乗員が亡くなったという
知らせがメールで入ってきた。
自分も高齢者だけど
その人は先輩にあたるので
もっと高齢で70歳過ぎ!
つい最近も成田空港で会った
ばかりで、とても元気そう。
そんな印象しか残っていない。
そんな年齢まで添乗員をやるのは
どうかという意見もあるけれども
今の高齢者は昔に比べれば元気だ!
その先輩も昨年一年間で
海外添乗に出た日数が200日超えた
と誇らしげに言っていた。
びっくりするような日数だけど
この業界で添乗専門で生活してる人
にとっては、普通の日数だ。
所属会社が別になったために
最近はご無沙汰していたが
昔は同じ会社にいたし
添乗に一緒に行ったこともあった。
ヨーロッパへハワイへ
あちこち一緒に行った。
駆け出しの頃から仕事を教えて
くれた大先輩だ。
不幸中の幸いではあったが
先輩が急死したのは海外でなく
仕事が終わった日本でだった。
出かけた帰りで東京の中央線で
終点まで行っても起きないので
駅員が起こしに行ったときには
すでに亡くなっていたという。
元気そうな姿と屈託ない笑顔
とは裏腹に、知らない間に
相当の負荷が体にかかっていたと思うし
本人にしかわからないストレスが
サイレントキラーのように忍び寄り
最期を迎えることになったのか.......
真相は本当に分からないのだが
余りにも突然でただ呆然とする
ことしかできない。
訃報を聞いた自分がまるで瀕死の
病人のように、昔から現在に至るまで
先輩と共に過ごした日々の
印象深い思い出だけを回想していた
瞬間があった。
それと前後して、思い切り
泣きたくなる瞬間も訪れた。
感情のブレが収まってきたあとは
心から冥福を祈る🛐
落ち着きを取り戻していた。
成田空港からは今日も多くの
個人客やグループが飛び立っていく。
国内旅行のツアーもこれから
ゴールデンウィークにかけて
繁忙期の旅行シーズンに入っていく。
その国内旅行の業界でちょっと
変わった新陳代謝が起きている。
自分の知っている範囲で
60歳過ぎた高齢者が続々
添乗員の仕事を始めている。
もちろん業界未経験者の新規登録で
自分の教えている専門学校では
ハローワークの委託訓練生がいて
仕事を探している過程で
観光ビジネスに興味をもち
添乗員登録をする人が出ていて
高齢者も入ってきている。
一方で、退職して年金をもらう
ようになってから、旅行会社や
派遣会社に登録して添乗員の仕事を
始めた人の話を何人も聞いた。
旅行業界の関係者の中からも
定年退職後、派遣会社の
事務所の所長まで務めた人が
若い人に混じって、国内旅行の
添乗員を始めた。
政府は前から副業を奨励しているし
年金額が不十分なことから
高齢者が労働市場に参入している
ことはわかる。
しかし、添乗員という仕事は
気も使い体力も消耗する
高齢者には過酷な部類の仕事
ではないか?という点だけが
気になるだけだ。
気力体力に問題がなく
やりがい、生き甲斐という
モチベーションまで満たされるのなら
健康に気をつけながら
頑張ってもらいたい。
前に経験して知っているけれども
給料等には換算できない
自分自身の付加価値を高める
という魅力を添乗員の仕事は
持っているからだ。
スペインらしさの原点 ~アンダルシアへの誘い~
かつて海外添乗で訪れたところでも
スペインのアンダルシア地方は印象が強い。
日本人がスペインといったらイメージするものが
全てアンダルシアにルーツがあって
スペインらしさの原点となる場所だからです。
白い家、闘牛、フラメンコなどがスペインの
イメージそのものでしょう。
スペインの国民的英雄はドン・キホーテですね。
文学作品の人物なのに国民的英雄であり
また、スペイン人の代表的キャラクターです。
スペイン的なものの故郷です。それは、風車です。
ラ・マンチャ地方の入口トレドからコンスエグラへ
サンチアゴ・デ・コンポステ-ラへ通じる
由緒ある村道なのです。
風車の写真を撮ったら、ふもとの村で
ドン・キホーテゆかりの昔の宿屋(旅籠)に行って
トイレ休憩をとる観光コースができています。
ラ・マンチャ地方から南下して
褐色の山脈を超えるとアンダルシアです。
私は初めてスペインに行ったとき
首都マドリ-ドでフラメンコを見たので
そこが本場だと思っていたら
アンダルシアが発祥の地でした。
アンダルシアという地名ですが、ローマ帝国崩壊後
ゲルマン民族大移動のときに部族単位で
移動・定住したために、ゲルマン人の部族名が
そのままヨーロッパの地名になったところが多く
アンダルシアという南スペインの地名も
ヴァンダル族という部族名に由来します。
日本の諸大名と接点をもったのは、「南蛮人」こと
ポルトガル人やスペイン人の宣教師でした。
その頃のスペイン人は大航海時代の主役で
新大陸発見のために大航海したいという交渉を
時代の寵児スペインまで行って交渉したのです。
イタリアという国家はまだ誕生しておらず
時めくスペインのイザベラ女王なら
資金も十分! 相談に乗ってくれるという判断です。
このときからスペインとの関係が密接になり
コロンブスのお墓も、彼の出港の地である
セヴィリアの大聖堂にあります。
セヴィリアでフラメンコを見に行くと
そのタブラオの近くに闘牛場もあるのです。
闘牛の発祥の地もアンダルシアなのです。
アンダルシア最大都市コルドバは
人口100万人を超し、同時代のヨーロッパ
主要都市の水準を大きく上回っていました。
「メスキータ」といいます。イスラム教徒に
800年間支配されたイベリア半島のスペインでは
メスキータが誕生していたのです。
1492年という年代はスペイン人にとって
永久に忘れないほどの重要な年代です。
コロンブスの新大陸発見の年であり
レコンキスタが完結した年でもあります。
レコンキスタとは国土再征服運動のことで
スペインがイスラム教徒を駆逐し
奪われた国土を奪還した年なのです。
駆逐されたイスラムの王族の最後の砦となったのが
という曲は栄華を誇ったイスラム教徒の王族の
哀感やペーソスがにじみ出た曲です。
宮殿と庭園はハイブリッド国家スペインの
誇りを象徴するかのようです。
機会を見て是非一度
アンダルシアの3都市
訪れてみて下さい。
斎藤一人著「絶対、なんとかなる!」読後感想文
私は数年前から斎藤一人さんのファンです。
知ったきっかけは、U-Tubeの動画を見ていると
突然出てくることが何回か続いて「何これ?」と思って
何回か見ているうちにはまってしまったようです。
今回は、「絶対、なんとかなる!」という
最近の著作を読んで「目から鱗」状態となり
勇気をもらったので、そのことを書きます。
私は縁起をかついだり、運勢を気にしたりする方で
今年、自分の妻が癌だと分かってからは
癌にご利益があり、癌封じのお守りまで手に入る
という検索情報をもとに、新橋の烏森神社まで
初詣に行ってきました。年末から癌であるとわかっていたから。
これまでよく宗教団体に所属しなかったものだと
思いますが、「悩み解決法」としては「宗教的な」ものに
大きく依存していたのは間違いありません。
斎藤一人さんは、この本の冒頭で
「この本には「神様」にまつわる不思議な話が
たくさん出てきますが、私が神様を好きなだけで、
宗教とは関係ありません。」と注記で述べています。
本のタイトルを見ただけで、胡散臭いとか、非科学的だと考える人は
そもそも最初から縁がないということで、見つけても
手に取ることはないでしょう。
斎藤一人さんも、全員にわかってもらえるとは思っていない。
100人に1人に伝われば良いと言っています。
第1章から、一般の常識を覆すような
衝撃的な言葉が目にとびこんできます。
自分の手に負えない問題が起きたら
天にいる神様にお預けして、あとは
「なんとかなる」と言っていれば解決する
「なんとかなる」は最強の肯定語だ
というのです。
もちろんこの言葉をうのみにして
何もしないということでは
問題解決には程遠いでしょう。
しかし、袋小路にはまって本質が見えない人には
いったん神様に託してみるというかたちで
問題から距離をおくという方法で
解決の糸口が見えてくることが良くあります。
それと問題に対処する根底に
なんとかなる=必ず解決に導かれる
という強い思いや念が欠かせません。
「なんとかなる」と言っていれば
どんな問題も解決するし、
どんな大きい夢もかなう
という根拠が展開されるのが第2章です。
「なるようになる、先のことはわからない」
というラテン系の人たちのメンタリティーに
通じるものがあります。
自分のことだけではなくて、
「なんとかなる」は子育てにも強力なアドバイスです。
子供に完璧を求めたり、プレッシャーをかけても
決して良い結果は出ず、「生きているといろんなことが
あるけど、なにが起きても、絶対なんとかなるからね。
心配しなくて大丈夫だよ。」と言葉をかけて
好きなこと、やりたいことを自由にさせていると
将来、好きなことを足掛かりにして、世の中で
自分を活かす道に自然に入っていくといいます。
また、パワハラや会社での人間関係に悩んでいる人にも
この本は解決のための多くのヒントを与えてくれます。
youtu.behttps://www.youtube.com/watch?v=cYLLeCjKl8A
ユーチューブの動画でもこれまで斎藤一人さんの話しに
多くのヒントを得たり、それまでの常識とは真逆の
考え方に真実があると気づかせてくれたりして
困ったときに大変助けられました。
海外旅行の添乗員をやっていると
突発的な事故やトラブル対応で
迅速な処理を迫られることもあって
若いころから「絶対なんとかなる」の
考え方になじんでおけば、もっと
自信と確信をもって仕事ができたと思います。
自分の浅知恵より「神様の超解答」と確信して
「絶対なんとかなる」を日々口で唱えながら
「なんとかなる流れに乗るのが成功への近道
を実感することができます。
「人を助けたいならまず自分が幸せになりなさい」
という、従来の日本の道徳や倫理とは真逆な
考え方に触れながら、これからの人生を
ポジティブに楽しく生き抜く知恵を身につけられる
そんな本です。
だれが読んでもわかる
非常にシンプルでわかりやすい言葉を使いながら
とても奥深い宇宙の法則や真理に目覚めさせる
斎藤一人さんはそんな人ですね。
サンフランシスコ、ロサンゼルス 私の二都物語
ちょうど1年前を思い出しています。
3月上旬といえば、ビジネスマンといっしょに
視察旅行でアメリカを回っていました。
ニューヨーク ⇒ シカゴ までは
大寒波は終わったものの、まだまだ寒く
西海岸のカリフォルニアに来たとたんに
青空が見えて、外気が暖かく
気持ちまで開放的になる感じです。
日本全土より大きい国土面積です。州都は
サクラメントですが、州議事堂があるだけで
大都市ではなく知名度も高くはありません。
カリフォルニアを代表する2大都市は
ロサンゼルスとサンフランシスコです。
帰国前の滞在先はサンフランシスコでした。
商業的に大きく、外国人の駐在員も多く
日系人とのつながりも深いことから
この二都市に来ると安心感があります。
それと、何といってもカリフォルニアの魅力は
青空と暖かい気候です。ロサンゼルスなどは
1年のうち300日近くは晴天です。
ロサンゼルスはじめ、他の大都市は
黒人が多いという印象がありますが
サンフランシスコは、全米でも最大のチャイナタウンが
あって、中国人が多い感じです。
サンフランシスコの一番の観光ポイントは
ゴールデンゲ-トブリッジ(金門橋)です。
サンフランシスコ湾のベイエリアの海にかつて
ギャングのアルカポネが収容されていた
アルカトラズ島が見えます。
脱獄不可能な連邦政府の刑務所でした。
ベイエリアのクルーズ船やアルカトラズ島まで行く
フェリ-ボ-ト以外に、ヨットが優雅に浮かんでいます。
ロサンゼルスにもマリナ・デル・レイ、サンタモニカ
ヴェニスビ-チのような若者文化を発信してきた
シーサイド・リゾートがあります。
サンフランシスコにはまたフィッシャーマンズ
という海辺の歓楽街があります。
フィッシャーマンズワーフには、ダンジョネス・クラブ
(地元のカニ)やシーフードを美味しく食べたり
クラムチャウダー(あさりのポタージュスープ)を
楽しむシーフード店が多数軒を並べます。
ピア39というレストランやギフトショップが
集まったアミューズメント・ピアもあります。
サンフランシスコは19世紀半ばの
ゴ-ルドラッシュで発展を遂げました。
サクラメント近郊で
偶然、金塊が発見されて以来、一獲千金を
夢見る者たちが大挙して押し寄せ
様々な商売人が出てきて
また偉大な事業かを輩出し
大陸横断鉄道敷設工事で
多くの中国人移民がやってきて以来
全米最大のチャイナタウンができました。
一方ロサンゼルスは南カリフォルニアで
ヒスパニック、特にメキシコ人が多くいます。
ダウンタウンという商業の中心地では
サンフランシスコにはユニオンスクエアがあり
ロサンゼルスのダウンタウン近郊にも
ロデオドライブという高級ショッピング街
があります。
高級住宅地があります。
また、ロサンゼルスにはハリウッドという
映画産業のメッカがあることも忘れられません。
サンフランシスコとロサンゼルス
好対照な面がある一方で
よく似たところもある二都市のバックグラウンドは
華麗で多くの人を引き付ける魅力があります。
アメリカ西海岸を最初に探検し入植したのは
大航海時代のスペイン人です。
メキシコとの国境まで車で30分という
カリフォルニア最南端の大都市
サン・ディエゴのポイントロ-マ(ローマ岬)に
スペイン人入植の記念碑が建っています。
それ以来、アメリカ西海岸全体で
スペインのカルチャーが浸透し
地名のほとんど全てがスペイン語になりました。
ちなみにロサンゼルスは
天使(=The Angels)を表すスペイン語です。
サンフランシスコとは
カトリック教を布教に来た修道僧の
名前に由来するのです。
その他の地名のルーツも探ってみると
面白いエピソードが出てくるのです。
自分なりの二都物語でしたが
最後までお読みいただき
ありがとうございました。