マサヒロクンの公式ブログ

海外添乗員の経験談、空港勤務の日常を中心に日記調の記事をアップしていきます。

スペインらしさの原点 ~アンダルシアへの誘い~

かつて海外添乗で訪れたところでも

スペインのアンダルシア地方は印象が強い。

 

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日本人がスペインといったらイメージするものが

全てアンダルシアにルーツがあって

スペインらしさの原点となる場所だからです。

 

白い家闘牛フラメンコなどがスペインの

イメージそのものでしょう。

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スペインの国民的英雄はドン・キホーテですね。

文学作品の人物なのに国民的英雄であり

また、スペイン人の代表的キャラクターです。

ドン・キホーテが活躍したラ・マンチャ地方は、もうひとつ

スペイン的なものの故郷です。それは、風車です。

ラ・マンチャ地方の入口トレドからコンスエグラへ

向かう村道は、あのガリシア地方

サンチアゴ・デ・コンポステ-ラへ通じる

由緒ある村道なのです。

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 風車の写真を撮ったら、ふもとの村で

ドン・キホーテゆかりの昔の宿屋(旅籠)に行って

トイレ休憩をとる観光コースができています。

 

ラ・マンチャ地方から南下して

褐色の山脈を超えるとアンダルシアです。

私は初めてスペインに行ったとき

首都マドリ-ドでフラメンコを見たので

そこが本場だと思っていたら

アンダルシアが発祥の地でした。

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アンダルシアという地名ですが、ローマ帝国崩壊後

ゲルマン民族大移動のときに部族単位で

移動・定住したために、ゲルマン人の部族名が

そのままヨーロッパの地名になったところが多く

アンダルシアという南スペインの地名も

ヴァンダル族という部族名に由来します。

 

日本の戦国時代や安土桃山時代織田信長はじめ

日本の諸大名と接点をもったのは、「南蛮人」こと

ポルトガル人やスペイン人の宣教師でした。

 

その頃のスペイン人は大航海時代の主役で

ジェノバの船乗りコロンブス

新大陸発見のために大航海したいという交渉を

時代の寵児スペインまで行って交渉したのです。

何故なら、コロンブスの故郷のジェノバという

都市国家はじめ多くの都市国家はありましたが

イタリアという国家はまだ誕生しておらず

時めくスペインのイザベラ女王なら

資金も十分! 相談に乗ってくれるという判断です。

このときからスペインとの関係が密接になり

コロンブスのお墓も、彼の出港の地である

セヴィリアの大聖堂にあります。

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セヴィリアでフラメンコを見に行くと

そのタブラオの近くに闘牛場もあるのです。

闘牛の発祥の地もアンダルシアなのです。

コロンブス大航海時代で活躍した頃

アンダルシア最大都市コルドバ

人口100万人を超し、同時代のヨーロッパ

主要都市の水準を大きく上回っていました。

イスラム教のモスクのことは、スペイン語

メスキータ」といいます。イスラム教徒に

800年間支配されたイベリア半島のスペインでは

コルドバのような世界的に知名度の高い

メスキータが誕生していたのです。

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1492年という年代はスペイン人にとって

永久に忘れないほどの重要な年代です。

 

コロンブスの新大陸発見の年であり

レコンキスタが完結した年でもあります。

 

レコンキスタとは国土再征服運動のことで

スペインがイスラム教徒を駆逐し

奪われた国土を奪還した年なのです。

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駆逐されたイスラムの王族の最後の砦となったのが

グラナダアルハンブラ宮殿です。

ナルシソ・イエペスの「アルハンブラの想い出」

という曲は栄華を誇ったイスラム教徒の王族の

哀感やペーソスがにじみ出た曲です。

宮殿と庭園はハイブリッド国家スペインの

誇りを象徴するかのようです。

 

機会を見て是非一度

アンダルシアの3都市

グラナダコルドバセヴィリア

訪れてみて下さい。