マサヒロクンの公式ブログ

海外添乗員の経験談、空港勤務の日常を中心に日記調の記事をアップしていきます。

癒し系の観光地 モネの家と睡蓮の池

5月はヨ-ロッパの各国も観光客が増えて

フランスでもピークシーズンの到来です。

さらに6月になると、睡蓮を浮かべた池で

絵画の世界を堪能できる「モネの家」の

全体がベストのパフォーマンスを披露します。

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パリから1時間半も離れると

自然が豊かになって

同じセ-ヌ川沿いでも

景観が優しくなります。

パリのセーヌ川沿いには、

歴史的な建物が

あまりにも周密にそろいすぎていて

密度は濃いものの少し息苦しく感じます。

 

モネの家はノルマンディー地方の入口で

ジヴェルニ-という静かな町にあります。

この町には印象派美術館があって、

モネの後も多くの印象派の画家が移り住み

彼らの心を捉えた四季の変化

美しい自然の移ろいが感じられます。

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モネの「睡蓮」は連作で200点以上の

作品が残っていて、そのうちの一部は

日本でも観ることは可能です。

私も神奈川県箱根町のポーラ美術館や

岡山県倉敷市大原美術館

観たことがあります。

モネや「睡蓮」に魅せられた人にとって

、「睡蓮」の殿堂はパリの

オランジュリー美術館でしょう。

360度パノラマの展示室で

「睡蓮」に特化して鑑賞できます。

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5月でもバラやアイリスが楽しめますが、

6月以降真夏になれば、

ヒマワリやアサガオも咲いています。

そして何と言っても

モネファンがお目当てで来る

水の庭園の池を美しく彩る

睡蓮の花

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太鼓橋「ル・ポン・ジャポネ(日本橋)」の緑色が

水面に映える水の庭は、

睡蓮が満開に咲く季節に行くと、

本当にモネの絵画の中に

溶け込んでいるような恍惚感を覚えて、

心底癒されるのです。

モネも水面で静かに花を咲かせる睡蓮と

庭園の美しさを

何百という作品に仕上げました。

まさに絵画の中の世界

絵画との一体感!

普通の絵画鑑賞では

ここまでの感情移入や

作品との一体感はないでしょう。

 

もう一つ、私たちが癒される要因として

この庭園がもつ

日本的センスと情緒

これも忘れることができません。

普通のフランスの庭園散策は

幾何学的構成とロジカルなコンセプトで

美しくても頭が疲れるのです。

 

しかし、モネが私たちを誘う世界は

私たちが知っている知的故郷を

イメ-ジさせてくれるからです。

 

睡蓮の池を浮かべた水の庭は

もとは隣人の敷地だったところで

セーヌ川の支流から水を引く権利まで

入手して、モネが創り上げた庭園なのです。

 

アトリエ兼住居としての「モネの家」は

地下道を通じてつながっていて

家の前の庭園は、

「ノルマンディ-の庭園」で

四季の花々が色とりどり咲いています。

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モネはパリ生まれで、幼少の頃

ノルマンディー地方のル・ア-ブルに

引っ越し、その後も半生、転居を

繰り返しましたが、

ジヴェルニーの自然に魅せられ

家族とともに43歳のときに

ここに移り住み

自分が中心となって

庭師も雇い、制作以外のときは

庭の手入れに没頭し、

自他ともに認める造園家でした。

 

86歳で生涯を閉じるまで、

モネ自身によって手作りされた庭園は

死後も40年以上にわたって

管理する庭師がコンセプトを受け継ぎ

現在もフルタイムの庭師が休むことなく

モネの世界の創造と維持に貢献してます。

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モネが生きた時代、19世紀後半は

フランスだけでなくヨーロッパ中で

ジャポニスムという「日本趣味」が

一世を風靡した時代で

モネと親交があった画家の中にも

日本の浮世絵や版画に魅せられる

芸術家が多数いました。

 

モネの家の中にも、

北斎歌麿、広重など

多数の浮世絵が展示されていて、

家の中も室内も

日本趣味が生かされています。

そして、庭園のあり方や外観も

どこか日本風の感性をもっています。

そこにいくら見ていても疲れない

安心感をもたらす理由がある気がします。

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モネは印象派と呼ばれ、今は美術史の
主要な潮流として

高い知名度を持っていますが

モネが若い頃の展示会で

「あんなものは絵画ではない、

単なる印象を描いただけだ。」

と酷評されたのがきっかけで

印象派という用語が生まれたのです。

悪口がルーツとなって生まれた用語が

印象主義」「印象派

なのです。

 

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モネは人生の後半40年以上ずっと

亡くなるまで

ジヴェルニ-の家に住み続けます。

白内障を患って

目が見えにくくなってからも

キャンパスに向かい、「睡蓮」と向き合い

それ以外の時間は庭師として

庭園で作業していた時代そのままの

たたずまい、モネの息吹すら残っている

モネの家はそんな場所です。


モネの家で知名度の高いジヴェルニ―は

人口5,000人のこじんまりした町ですが

世界各国から毎年50万人以上の

観光客を集めています。

 

モネファンならずとも

ジヴェルニ―の牧歌的な景観と

モネの家の庭園の四季折々の花と

睡蓮の池でストレスから解放され

癒されるのは間違いありません。