マサヒロクンの公式ブログ

海外添乗員の経験談、空港勤務の日常を中心に日記調の記事をアップしていきます。

自分にとって平成とはアナログからデジタルへの適応時代

今週のお題「平成を振り返る」

私は、昭和64年
つまり平成になる少し前から
旅行業界に所属し
海外添乗をやってきた。
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(1990年当時のパリ ノートルダム寺院

つまり平成の時代を
初めから終わりまで
旅行業界にいながら
ずっと見てきたことになる。

世の中、そして旅行業界
ふだんの業務のやり方まで
アナログからデジタルへ
移行する過渡期だったと思う。
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(2003年当時のパリ)

もちろん昭和の時代から
会社にパソコンはあったが
会社で業務を行うときだけで
まだ自宅でパソコンは
使っていなかった。
外国との通信もテレックス
が中心でメールはなかった。

添乗に行っても
迷子がでたら走って探しに行ったり
呼び出しの放送をしていた。

平成に入ってしばらくたつと
マイクロソフトがウィンドウズ95
を発表し、デスクトップの
パソコンから急速に普及していった。
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(2007年当時のスペイン ミハス)

ウィンドウズは度々バージョンアップ
され、ノートパソコンも普及し
外出先でもパソコンで仕事する
ことがトレンディとなった。

しかしまだ平成の始め頃は
インターネット接続が大変で
電話回線につなぐダイヤルアップ
接続で行っていたこともある。
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(2008年当時のイタリア シエナ

海外添乗にパソコンを持って行って
ダイヤルアップ接続で日本に
メールを送ったら、国際電話代
としてバカ高い金額になった
という失敗も覚えている。

後にインターネット接続の選択肢が
多くなったとはいっても
国際ローミングの設定を行ったりして
まだまだ煩雑だった。

携帯電話もパソコンと同じように
昭和の終わりにシステムが
出来上がって、平成に入ってから
普及していった。
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(2011年 フランス モンサンミッシェル

普及したといっても日本独特の
システムを搭載したガラケー
先に普及したので、中高年になるまで
ガラケーの使い方に慣れた私は
なかなかスマホを使う気に
なれなかった。

スマホを使い始めたのは
2016年になってからだから
かなり遅い方だったと思う。

スマホを持っていることが
当たり前となったいまの時代は
添乗業務のスタイルも変わった。
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(2016年 スコットランド エディンバラ

担当者とのやりとりは
メールが当たり前だし、
かつては手書きの報告書を会社に
提出していたのに、いまは
パソコンのフォーマットに入力
したものを会社に送信する
デジタル報告書に変わってしまった。

添乗金の精算報告書も前は手書き
だったが、いまはスマホのアプリを
使って入力作業を行い、会社に
送信するやり方に変わっている。
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(2016年 ペル- マチュピチュ遺跡)

添乗に行って人数が足りないときは
昔のように呼び出し放送したり
探しに行ったりすることは少ない。

仲間がラインでメッセージを送れば
すぐ迷子さんから返信がきて
必ず集合場所に来てくれる。
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(2016年イギリス リヴァプール
訪日外国人のツアーの場合は
ラインを知っている人はいないが
WhatsAppワッツアップという
ラインと同じようなアプリを使って
いない人をすぐ呼んでくれるから
不在者の所在もすぐわかる。

Facebookツイッターを使って
コミュニケーションをとることも
あり、昔の添乗員には考えられない
恩恵に浴していて、まさに
SNS のパワーを感じる。
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(2017年ドイツ ノイシュバンシュタイン城

30代から60代を旅行業界にいて
添乗業務をしながら駆け抜けてきた
いまの自分は、アナログ人間
デジタル社会に移行する過渡期に
適応しようと闘ってきた

平成とはそんな時代だったと思う。